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アイテム情報
絵図名
大和國高市郡高取城之圖
絵図名ヨミ
ヤマトノクニ タカイチグン タカトリジョウ ノ ズ
絵図別名
大和国高市郡高取城之図
刊年
1899
出版者
[書写者不明]
出版地
[書写地不明]
出版日付
明治32[1899]
形状
1枚 ; 70×80.5cm
解題・関連資料等
明治32年7月に「原図ニ依リ之レヲ描写ス」と記す高取城縄張図。 原図は、『
高取町史
』に紹介する「和州高取城山之絵図」 や「御城絵図正保年中本多内記様御改間数」とは別種のものと思われる。 図中には、大手筋入口の黒門、北門にあたる岡口門、搦手の吉野口門、西の壷阪口門から壷阪山までを描く。 周囲の山々は水色、曲輪の各屋敷は桃色で彩色するが、櫓名などの記入枠が空白で記入漏れの箇所が8ケ所ある。 高取城は、元弘2年(1332)に護良親王の挙兵に応じた越智邦澄の築城と伝える。越智氏の高取城は自然の地形に多少の工作を加えた「カキ上ゲ城」であった。 天正8年(1580)に、織田信長の一国破城令によって、破却されたあと、筒井順慶が同12年詰城として復興を開始。 同13年豊臣秀長が入国すると、脇坂安治についで本多正俊が入り、秀長の命で同17年から本格的な工事を始めた。 本多氏はそのまま高取城に残り、慶長5年に2万5000石に加増。本多氏の断絶後、植村家政が寛永17年(1640)に同石高の大名として入り、幕末まで続く。 高取城跡は、国中(奈良盆地)と吉野地方との間の高取山(583,9m)山頂にあり、近世の山城としては異例の高さと規模を有する。
注記
彩色
請求記号
T-3-149
資料ID
556007086
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
城
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